1966年9月、創業者の坂田敦(現名誉会長)は医療分野のディスポーザブル(使い捨て)製品の販売を目的として、日昭産業株式会社を設立しました。 当時の医療業界では、ディスポーザブルという概念はなく、利便性や衛生面を訴え全国各地へと地道な販売活動を繰り返しました。
1966年
1970年
3年あまり経過し営業基盤も安定化してきた頃、1970年の大阪万国博覧会にKFCインターナショナルが実験店を出店するとの情報が入ってきました。 付き合いの深かった印刷企業大手から、ケンタッキーのテイクアウト用の包装パッケージを打診された坂田は、医療分野で培った製品の開発力を活かしこれを手掛けることにしました。
大阪万博をきっかけに、ケンタッキー・フライド・チキン様の店舗で必要とされる、鶏肉ほか生鮮食材を除く、その他全ての必需品を一手に引き受けお届けする外食店舗の「トータルサプライヤー」というビジネス・モデルを考案しました。 1970年代~1980年代は、ケンタッキー・フライド・チキン様の店舗網急拡大の時期でした。 弊社はケンタッキー様の成長に信頼の配送網でお応えし、倉庫・配送業務のノウハウに磨きを掛けていきました。
このビジネス・モデルは、他のファストフード・外食レストラン・居酒屋業態などの、特にチェーン展開をする事業にベストフィットしました。 1970年代のわが国は、ファストフードや外食事業のチェーン展開の拡張期でしたが、弊社は業界の成長とともにKFC事業を含む外食事業を主力とし成長を続けることができました。
1995年
このチェーンビジネスを支えるインフラは、高度に行き届いたロジスティクスと最新のIT(情報通信技術)の導入でした。弊社における第4の事業を生み出すきっかけとなったのも、その物流基盤・情報技術があったからこそといえます。 1995年には、そのロジスティスク機能を活かし、パチンコホール個店への、タバコをはじめとする一般景品の配送をスタートさせました。
2000年
バブルが崩壊し2000年代に入ると、弊社の成長を後押ししてきた生活産業事業にも陰りが現れはじめます。 創業者からバトンを受け継いだ二代目社長の坂田明彦(現代表取締役社長)は、外食業界が成熟期を迎えるなか、創業事業であるメディカルに再び光をあてました。メディカル事業サプライチェーンへの本格進出です。 海外協力メーカーへの製造指導と品質指導の強化を行い、2006年には、メディカル製品の独自ブランドを立ち上げ、弊社のキャッシュカウ事業へ導く、第二の創業ともいえる基盤を作り上げました。
2020年
その後の10数年に及ぶ改革期・安定期を経て、2020年春先からは新型コロナの影響下、メディカル事業は、医療業界を支えるエッセンシャル・ビジネスの担い手としての使命感を持ち、製品の安定供給に腐心しました。 生活産業事業においては、お客様の業界や業態において明暗が分かれるなか、各社の事情を斟酌しながら、そのニーズに真摯にお応えしてきました。
今後は、ウィズ・コロナの時代からポスト・コロナの時代を見据えながら、全社的戦略・事業部別戦略を模索していきます。 その根底にあるのは、50周年を機に明文化した「我が社の信条」にある精神です。 お客様をはじめ、全てのお取引先様、関係者様に報いることが弊社の理念であり、このような時代であればこそ、内外に弊社の存在意義を問うていきたいと考えています。